埼玉県にも大正時代に大学が?豊岡大学

大正14年から太平洋戦争開戦の昭和14年にかけて入間市では【豊岡大学】と銘打たれた公開講座がありました。当時は旧制中学、高等女学校等に進学する生徒の比率もかなり低い時代でした。それ以上の高等教育機関としては、【旧制浦和高等学校】の他には【埼玉師範】等の師範学校があるのみの時代でした。この時代に14年間もの間、春と秋の年2回ですが、毎回3~4日開催されたようです。累計では25回の開催になりました。高等教育を受けれる機会に恵まれなかった向学の青年、婦人が集い合ったようです。現代の大学の通信課程の夏期スクーリングのようなものかと思われます。この講座の講師として【犬飼 毅】【尾崎幸雄】【後藤新平】【新渡戸稲造】【羽仁もと子】等の著名人も馳せ参じたと記録にあります。この【豊岡大学】の教室は大正12年に落成された豊岡公会堂が使用されました。この建物は【渋沢栄一】の寄進によると言われています。渋沢栄一は埼玉の、そして日本のあらゆる分野に於いて礎を築いていた事がまた一つ証明されました。

-2021年12月14日-